さて…寄木造の最大の利点というのはなんでしょうか?
まぁ、小さい木材から大きい像が作れたり…
細かく造りこむ時に、バラけた方が彫刻しやすかったり…
腕や足の位置が気に食わない時に、変えることができたり…
…さがせば、他にもあるでしょうが、こんなところです。
でも、一番の利点といえば、多分、巨像を造ることができるという点です。
一木の場合、巨像を造ろうと考えたら、それだけの巨木を探さなければならなかったわけです。
初めの頃は、それでも大きい木があったでしょうが、都の造成や、なんやらで、
大きい木は常に需要過多状態。
そのうち、大きい木は全て伐採されてしまったりで…巨像を作るのは結構、大変だったかと思います。
なにせ、材料が見つからないわけですから。
そんな中、造仏界の技術革新として出てきたのが、寄木造りです。
これだと、ある程度の材を集めれば、巨像が造ることが可能です。
平等院の阿弥陀や東大寺の仁王やら…これは、どうあがいても、一木では不可能です。
寄木造りの勝利というか、華々しい成果ということができます。
…それで、前のローマの寄木?寄せ石構造の石像の話に戻ります。
あれらも、単純に大きい像を作るために石を寄せたのなら、納得できますし、
よくわかります。
実際、本来はそのために寄せ石にしたのだろうと思うのですが、であったら、
なぜに、わざわざ、鼻の辺りで寄せたのかな?と思うわけです。
…だって、目立つし、かっこ悪いじゃないですか!
それが、大きいものだったら、納得できますが、小さいものであっても、鼻の
辺りで材をあわせるというのは正直、理解に苦しみます。
考えられるのは、石材をなるだけケチったということでしょうか?
人の頭部を塊として見たとき、そこからはみ出るのは、たいがい鼻です。
ですから、手元にある、石材でいっぱいいっぱいに彫刻して、はみでた、鼻や
耳は別の小さな石で作った…。
こんなところなのでしょうか?
仏像の寄木造は、最初は、巨像作りの為に出てきたと思うのですが、時代が下
るにつれ、むしろ、木材を節約する方向にどんどん進んでいきます。
まぁ、率直に言って、材料費をケチるためだけに寄木にする!という感じにな
っていきます。(と、僕は思っています。)
それから、考えると、ローマもやっぱり、同じですかね?
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